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おすすめ英語学習法 

なぜ外国語を学ぶ?


 高校の時、オースン・スコット・カードの『エンダ―のゲーム』というSF小説を読んで、面白いと思った。日本ではあまり知られていない小説かもしれないが、アメリカではかなり有名な本で、ヒューゴー賞を受賞しただけではなくて、ニューヨークタイムズのベストセラーにもなった。あらすじはわりと簡単で、人類が宇宙人に出くわして、宇宙戦争が始まる。なぜかというと、人類と宇宙人は共通のコミュニケーションの手段がなくて、話し合えない生命体は戦い合わなければならない。というか、戦わずにいられないというのがオースン・スコット・カードの一つの前提だ。コミュニケーションの空白は紛争を生み出すというわけだ。

 私の修士課程の教授の一人はほぼ同じことを言ったことがある。私の大学院の先生の一人はスコベル教授で、授業中に面白いことを頻繁に言った。スコベル教授はもともと面白い人生を歩んできた人で、第二次世界大戦中に、日本軍が運営した、中国にある捕虜キャンプで生まれ、5歳まで戦争の捕虜だった。10歳の時、中国の人民軍に宣教師であった両親とともに中国から追い払われた。授業中に「外国語の教室は平和の家だ。(The classroom is a house of peace.)」と言っていた。というのは、共通のコミュニケーションさえあれば、解決できない問題はありえないのだ。

 中国に留学した時、そういう理念は本当だと実感した。留学先の大学で北朝鮮の留学生との接触が初めてあった。偶然に隣に座ったアジア人の男性のワイシャツのポケットを見たら、小さな北朝鮮の国旗があった。「もしかて、北朝鮮の人ですか」と私が中国語で聞いたら、「はい。そうです。あなたの国はどちら?」と聞き返された。「アメリカだよ。はじめまして!」と言ったとたんに、相手は一生忘れられないほどビックリした表情になって、気がくじけかけたような調子で握手してくれた。その時、私は、米軍から脱走して北朝鮮に逃げ込んだジェンキンズさんの『告白』という自伝を授業に持って読んでいたが、北朝鮮のクラスメートに見せて、「彼知っている?」と聞いてみた。それがきっかけになって、彼と毎週話すことになった。

 アメリカと北朝鮮は北朝鮮の建国以来敵対している国なので、当然、なんでもかんでも話し合える雰囲気ではなかったが、話し合うにつれ、お互いの固定観念がある程度和らいだ気がする。たとえば、北朝鮮のクラスメートが「アメリカ人は皆銃持っている?」と聞いたので、私は「アメリカはテキサスではないよ」と返事した。アメリカの政治の話をしたが、北朝鮮のクラスメートはどうもアメリカの共和党と民主党の違いが分からなかったようだ。小さいことかもしれないが、共通のコミュニケーション手段のある(普段、敵対すると思われる)二人が話し合えて、お互いのステレオタイプをちょっと解体したと思う。

 これは一つのエピソードにすぎないけど、外国語はまさにそういう共通のコミュニケーション手段である。話し合えれば、できないことはない。外国語の習得は就職活動に役立つということはその通りだし、大切なことである。しかし、それよりも大事な働きもある。

どのように学ぶ?


 日本に初めて来た時、日本語をどう勉強すればよいか迷っていた。大学で4年日本語を勉強したとはいえ、うまく話せたわけではなかったのだ。NHKに現れるまじめな日本語ならば、NO PROBLEMだったけど、実際に話される日本語・活きた日本語に慣れていなかったのが実情だった。中学校のALTの仕事についたばかりのアメリカ人には、当時の中学生が話した非常にくだけた日本語を理解するのは不可能だったのかもしれない。「宿題しました?」「したってば!」のようなやりとりがかなり多かった気がする(そう言えば、今でも、「ってば」というのは、どういう意味なのかはっきり分からない)。

 しかし、仕事が終わって、アパートに帰って、テレビを見ていると、私の「言語的救世主」が現れた。バライエティ番組であった。バライエティ番組と言えば、訳の分からないくだらない話ばかりと思ってしまうかもしれないけど、言語学習にとって、かなりいい効果がある。なぜかというと、雰囲気から分かる情報が多くて、話している人が言うすべての単語が分からなくても、話のあらすじが理解できるし、聴き手の反応を見て発言の意図を推測できる。内容が「浅い」という批判は当然あるけど、「浅い」のでだめだという方程式だって浅いのだ。

 雑巾で吸い取られるほど「浅い」セリフやあらすじしかない番組を見るのは言語学習にとって、非常に効果的で、浅いからこそ話の成り行きを予測でき、理解しやすい。内容の理解に手間がかららないから、言語能力が段々向上するかもしれないね。それに、幸か不幸か、そういう番組が山ほどある(「大陸ほどある」という表現を使おうと思ったけど、通じないそうだ)。最近、アメリカで人気を集めているのは、どんな問題でも暴力で解決できると思っている人が主人公の番組で、一つのエピソードは一時間に当たり、一つのシーズンは一日以内に起こるという設定だ。変なところは、主人公は、二つのエピソードおきに殺さなければいけないテロリストを、六つのエピソードおきに拷問しなければならない(心理的にせずにいられない?)テロリストを見つける。計算してみると、主人公は平均に一日に12人を殺し、4人を拷問にかけるということになる。大変な仕事だね。アメリカのネオコンが作った番組なので、当然そういうあり得ない善悪一元論(manichean)的世界観に貫かれている。アメリカ第一。他のすべては第二。これはまさに「浅い」ということだ。

 しかし、「浅い番組」だからといって、見る価値がないわけではない。「浅い」ということが前もって分かれば、テレビ番組を見るのは効果的かもしれない。単なる言語学習の手段だと考えればいい。ただ、番組はアメリカやイギリスの現実を表しているわけではないことを忘れずに!

( ジョージ・オニール 先生)